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「失礼します」
軽く頭を下げたのは、まだ歴の浅い部員。とりたてて優秀ではないが、そこまで使いものにならなくもないので、印象が薄い。何故この男を? と目で問うとマライヒは、
「ロンドン塔マニアなんだ、この人」
と答えた。
すると男は、いかにも心外だという口ぶりで、
「違いますよ、マライヒさん。俺は怪談マニアなんです。その関係でロンドン塔にも多少詳しいってだけで」
と言い募った。スポーツマン然とした爽やかな外見からは、想像しがたい趣味だ。
「ごめんなさい、ブライアンさん。少佐はオカルトとか幽霊とか信じないタイプなので、つい」
「そうなんですか?」
マライヒの言葉に目を丸くした部下に問われ、わたしは深く吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出しながら椅子の背にもたれた。
全く、マライヒは何だってこんな男を連れてきてわたしの前に立たせるのだ。
「怪談だの、死者の霊だの、全く持ってバカバカしい話だ。そんなものは気の迷いが見せる錯覚でしかない」
「まあ、そこは今の本題じゃないし、人それぞれ考え方があるから置いておきましょうよ」
言い放ったわたしに向かって、怪談たるや、オカルティズムたるや何かを語り出しそうなブライアンを遮る形でマライヒが割って入り、今回のテロの標的であるロンドン塔に保管展示されている特別なダイヤについても彼が一定の知識を持っているので、話を聞いてくれと言った。
なるほど、この男をここへ連れてきたマライヒの意図は分かった。だがそれならば、この子がブライアンから話を聞き、わたしに報告すれば済む話だ。そう思いはしたものの、連れてきてしまったものは仕方無く、言いつのるのも女々しく思えたので、ブライアンに話を始めるよう促す。
「えっと、それじゃあ。ロンドン塔にある、世界最大のダイヤモンド、偉大なアフリカの星は、勿論少佐もご存じですね?」
「名前くらいはな。数度、見かけたこともある」
あれは確かに大きなダイヤモンドだ。マライヒの握り拳位は、優にあるだろう。有名なだけあって、透明度も高く、複雑なカットを施されきらきらと輝いてはいたが、ああも大きいともはやわたしの目には宝石と言うより鉱物として映った。
「あの石は、別名カリナンT世と言います。元々は1905年に南アフリカで発掘された物で、原石の元の大きさは3106カラットあったそうです」
「3106カラット?!」
宝石の好きなマライヒが、目を丸くして驚いている。
「うん。発見された当初は、誰かが悪戯で大きなガラスの固まりを埋めたのじゃないかと疑われたそうだよ。ちょうど当時、鉱山でそういう悪戯が流行していたらしいんだ」
へえ、と関心を露わにして聞くマライヒの態度に、ブライアンの舌が滑らかになる。
「調べてみると、本当にダイヤの原石だったその大きな石には、平らな面、つまり割れた跡だと分かる面があった」
「どういうことです?」
「もともとはもっと大きな石があって、そこから割れて分かれた欠片かもしれなかったんだ、カリナンの原石は」
「すごい!」
元来大きなマライヒの瞳が、さらに大きく見開かれる。
「だろう? 見つかれば、莫大な金になる。無論、鉱山では母石、本体の石の方も探したけれど、未だ持って発見されていない」
「へえー」
マライヒは、興味がある、面白いと思っている、といった感情を素直に表して話を聞く。かと言って、過剰に相づちを打ったり、的外れな質問をすることもないので、非常に話しやすい聞き手なのだ。当然の成り行きとして、話が進むにつれてブライアンの体が徐々にマライヒの方を向き、視線も主に彼を捉えるようになる。
「それで、その原石がどうやってイギリスへ?」
二人に割って入る形で声をかけたわたしに、ブライアンが慌てて向き直る。まさかわたしの存在を忘れ去っていたわけでは無かろうが、あまり念頭になかったらしい。苦々しい思いを飲み下そうとカップに手を伸ばして、飲み干してしまっていたことに気付く。
「コーヒーを?」
マライヒが、カップを受け取ろうと手を差し出す。
「ああ、頼む」
カップを渡し葉巻を手に取ったわたしに、マライヒはにこりと頷き、ブライアンにも「いかがです?」と問うた。ここでわたしの分だけを煎れに行くのは、確かに不自然だ。しかし、判然としない思いがちらつく。
「お願いしても良いかな?」
と、爽やかに微笑むブライアンに、これまた愛想良く頷いて、マライヒは部屋を出て行った。
先ほどのクリスマスブレンドとやらは、この部屋にある小さなキッチンで煎れたものと思っていたが、違うのか。確かめようにも、特別だそうなコーヒーを彼がどうやって煎れたのかもよく分からない。あの子は家でも職場でも、キッチンから飲み物や食べ物を易々と用意して持ってくるが、そのほとんどがわたしにはどうやって作られているのか想像もつかない。
幽霊だのオカルトだのは信じないわたしだが、あの子に魔法で作っているんだよと微笑まれれば、ああ、そうなのかと頷いてしまうだろう。